素振り文武両道

バットの素振りが11年で56万本を超えました。

文豪スイング66 斎藤茂吉『子規と野球』

本日は100本バットを振りました。


こんばんは。


本日は文豪スイングということで、斎藤茂吉さんの文章を読みながらの、バットスイングでした。

 

青空文庫より


『子規と野球』 斎藤茂吉 


私は七つのとき村の小学校に入つたが、それは明治廿一年であつた。丁度そのころ、私の兄が町の小学校からベースボールといふものを農村に伝へ、童幼の仲間に一時小流行をしたことがあつた。東北地方の村の百姓は、さういふ閑をも作らず、従つて百姓間にはベースボールは流行せずにしまつた。 正岡子規が第一高等中学にゐてベースボールをやつたのは、やはり明治廿二年頃で、松羅玉液といふ随筆の中でベースボールを論じたのは明治廿九年であつた。

 

という文章です。


この文章を、たやすく読める人は、読書の達人でしょう。


しかし、そんな人でも、


疲れている時、
忙しい時、
他に悩みがある時、


そしてなんと言っても、


たくさんブログを読まないと行けないという焦りがある時、


どうでしょうか?


たやすく読めるでしょうか?


(これは自問自答です)


普段は得意のはずの読書が、レベルダウンしてると思われます。


このレベルは、読書の不得意な方とあまり変わりがないのでは。


また、俳優なのにディスレクシアの方は、台本を読むのに苦労されると思います。

(このディスレクシアについては、
ググって下さい)

 

なのでこういう本があれば良いなー
というのを以下に示します。


斎藤茂吉さん7歳、小学校入学
斎藤茂吉さん7歳、小学校入学
斎藤茂吉さん7歳、小学校入学


それは明治21年であつた。
それは明治21年であつた。
それは明治21年であつた。


そのころ、私の兄が町の小学校から
そのころ、私の兄が町の小学校から
そのころ、私の兄が町の小学校から


ベースボールを農村に伝へた
ベースボールを農村に伝へた
ベースボールを農村に伝へた


童幼の仲間に一時小流行した
童幼の仲間に一時小流行した
童幼の仲間に一時小流行した


東北地方の村の百姓は、
東北地方の村の百姓は、
東北地方の村の百姓は、


さういふ閑をも作らず、
さういふ閑をも作らず、
さういふ閑をも作らず、


百姓間にはベースボールは流行せず
百姓間にはベースボールは流行せず
百姓間にはベースボールは流行せず


正岡子規が第一高等中学にいて
正岡子規が第一高等中学にいて
正岡子規が第一高等中学にいて


ベースボールをやつたのは、
ベースボールをやつたのは、
ベースボールをやつたのは、


やはり明治22年頃で、
やはり明治22年頃で、
やはり明治22年頃で、


『松羅玉液』といふ随筆の中で
『松羅玉液』といふ随筆の中で
『松羅玉液』といふ随筆の中で


ベースボールを論じたのは
ベースボールを論じたのは
ベースボールを論じたのは


明治29年であつた。
明治29年であつた。
明治29年であつた。

 

これで随分と楽になったと思います。


しかしこれでは上中下巻の長編なら、9冊となり、値段も3倍でしょう。


それはさておき、私はこの読みやすい文章でバットを振りました。


1行ずつ唱えて振りましたので、42本です。


それに以下の文で8本追加して、50本となりました。


明治21年茂吉さん小学校入学
明治21年茂吉さん小学校入学


同年、兄が野球を農村へ伝える
同年、兄が野球を農村へ伝える


明治22年正岡子規さん野球始める
明治22年正岡子規さん野球始める


明治29年子規さん野球の随筆を書く
明治29年子規さん野球の随筆を書く

 

本日の素振りの概要

2020/07/13 素振りの本数 : 100 本
素振り収穫祭🎑
15:47 +50 本
🍫🍫🍫🍫🍫


文武両道スイング📚
17:43 +50 本
📝📝📝📝📝文豪スイング
『子規と野球』 斎藤茂吉

 

 

蛇足

冗談抜きで、私はディスレクシアかも知れません。


なぜなら「ディスレクシア」の事を、


「ディス クレ シア」


と半年間、思ってましたので。

 

f:id:suburikuroinu:20200713220717j:image

1952年ごろ

ウィキペディアより